のっぺら
2006-08-17


禺画像]
朝起きたら、顔が無かった。

鏡の中には目も鼻も口も無いつるんとした器官があるだけだ。慌てた僕は目が無いのに何故見えるのかなんて考えもせずに、何処にあるのか分からない口で母親を呼んだ。
「なんだい騒々しい」
振り向いた母親にも顔は無かった。
「ぐだぐた言ってないで朝ごはん食べな」
「何処から食べるんだ?」
「何言ってんだろうねこの子は」

家でも、学校でも、僕以外の人間はごく普通に振る舞っていた。まるで顔なんて初めから無かったかのように。
確かに何も変わらない。五感だってそのままだ。今まで通り目があるように歩き、口があるように喋る。仕組みは分からないが食べる事だってできる。
人の判別には苦労したが、顔の無い世界は快適だった。表情が無い。言葉にしなければ何も伝わらない。そのシンプルさは僕の趣味に合っていた。

ある日、僕の言葉を聞いた友人が何も言わず顔の真ん中に皺を寄せた。
「何だよ」
「何って」
「黙ってちゃ分からないだろ」
「え」
友人は今度は顎に皺を作り僕を見つめた後、頭を回しながら去っていった。見かねたクラスメートが駆け寄ってきた。
「何やってんだよ、困ってただろあいつ」
「困ってた?」
僕には分からない暗号がいつの間にか広まっていた。皺の寄せ方、顔の膨らませ方、そのひとつひとつに僕の想像もつかない意味があるらしい。
「キャハハ、何その顔」
僕の顔を指差して女子が笑った。

「にらめっこか?」
「何怒ってんの」
「変な顔!」
論理的に解釈しようとする努力は悉く徒労に終わった。目も鼻も口も無い皮膚だけの器官、皺を使ったモールス信号のような表現を僕以外の誰もが理解していた。当たり前のように。

言葉にしなければ伝わらない。
そう思っていたのは僕だけなのか。
いや、
まさか、
目も鼻も口も、見えないのは、僕、だけ。

「笑いながら怒る人、いきまーす」
休み時間の喧噪の中、お調子者がふざけて叫ぶ。爆笑の渦の中で異質な僕だけがぽつねんと佇んでいた。
[800字]

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